2006年8月、僕はシーズン中にF3のシートを失いました。 1年半の全日本F3参戦で得られたものは多くありましたが、僕が結果という形で残せたものは何もありませんでした。表彰台に立つこともできず、納得のいく走りやレースができたのも数えるほどしかありませんでした。 しかし、同時に自分のポテンシャルを全て発揮できたと思える瞬間も僅かしかなく、結果が全てであるTDPの契約解除には納得できたものの、僕がレーシングドライバー以外の道を進むべきとの見解には強く抵抗を感じました。僕自身F3にはこだわりを持っていましたので、再チャレンジするならF3以外ないと決めていました。しかも、できれば何も良いところを見せられなかった全日本F3でリベンジしたいと思っていました。 今年僕が所属するル・ボーセ モータースポーツは僕がF.TOYOTAに参戦していた時の所属チームであり、僕がシートを失ってからずっと僕のF3復帰への道を探ってくれていました。 今年からナショナルクラスが導入されると知り、最大の難関であった資金的な問題をクリアできるのでは?と感じ、やるしかない!!と決めました。 スポンサーを集める前にやることを決めるというのは通常考えられないことだと思いますが、自分の残りの人生で返せる金額だったので、借金をしてでも、今までの人生とこれからの人生を全部賭けてやろうと決めました。 まだ多くの人には知られていかも知れませんが、3、4歳で抱いたF1チャンピオンになるという夢は僕が中学生の時に目標に変わり、それ以来僕の夢は世界平和と地球の環境問題解決に貢献できる人物になることです。 F3でリベンジするために2006年10月1日から僕はレースに必要な筋力をつけるためのトレーニングを開始しました。2006年に乗ったクルマでは2005年シーズンでは感じなかった体力不足を感じ、自分がパフォーマンスを発揮できなかった要因の1つと考えたからです。ジムが休館日、アルバイト以外の理由でトレーニングを2日以上連続して休んだことはありません。そして、次第にアスリートとして試合(レース)を求める本能が疼き出しました。それを抑えることができなかったというのも、やるしかない!!と決めた理由で、今、自分の夢は一旦“お預け”です。またいつかその夢に向かって活動できる日が来ると信じつつ、今は個人としてできる限りのことをやりたいと思っています。そんな思いが『ピンクリボンかごしま』と出会わせてくれました。 まだ1年間フル参戦できるかわかりませんが、チャンピオンになりたいのでサーキット内外で全力を尽くします。
ゼッケン:63 チーム:DENSO Team Le Beausset エンジンチューナー:ハナシマレーシング 監督 / エンジニア:坪松 唯夫 チーフメカニック:中山 正晴 No.2メカニック:甲斐 一誠 シャーシ:DALLARA F305 エンジン:TOYOTA 3S-GE タイヤ:BRIDGESTONE RF02 (dry) / RF23 (wet)
ゼッケン:63 チーム:DENSO Team Le Beausset エンジンチューナー:ハナシマレーシング 監督 / エンジニア:坪松 唯夫 チーフメカニック:中山 正晴 No.2メカニック:甲斐 一誠
シャーシ:DALLARA F305 エンジン:TOYOTA 3S-GE タイヤ:BRIDGESTONE RF02 (dry) / RF23 (wet)